冬期講習会最終日、一般の参加生から初めて入会申込書が提出された。
たかが1名かもしれないが、0と1では成果は大きく異なる。
塾生となったのはこれまで参加してきた講習会ではまったくなびく気配のなかった中2野球部のシュン。
担当講師はこの冬から正式採用となった伊達。
伊達は事前に三者面談を行い、講習会中は他の講師からの声がけを一切禁じていた。
シュンは講習会前の診断テストから締めくくりテストにかけて合計で5点しか伸びていない。
他の生徒はもっと伸ばしているから偏差値は講習会前より下がっている。
それにもかかわらず、なぜシュンは塾生となることを決断したのか。
講習会最終日の夜、いつものように報告会が行われた。
講師一同は、「シュンをどうやって入会させたのか」伊達が語る内容に注目していた。

「第一にシュンくんに対する認識を改める必要がありました。三者面談をして感じたのは、彼はとても賢い子どもだということです。テストの得点が取れるかどうかという話ではなく、何に力を注ぎ、どこで力を抜くか、その見極めがしっかりできています」
伊達は報告会でそう切り出した。
得意げな顔付きではない。
ごく当たり前の話をしているような表情だ。
「彼は毎回の講習会に参加はし、宿題もこなしていました。結果、締めくくりテストで得点は伸びることが多かった。まだ範囲も狭いから少し勉強すれば得点は伸びます。入塾を促進させるためテスト自体も易しく作られていますしね」
それを聞いてみんな苦い顔をした。
「今回のテストでは下がっているようですが?」
本多が怪訝そうな顔でそう言うと、
「ええ。中2は冬にかけて数学・理科は難しくなりますし、もうそう簡単には伸びない。だからこそこの講習会では宿題をきっちり取り組むことを約束しました。三者面談で約束したのはそれだけです」
「先ほど宿題は必ずこなしていたと話していましたよね?」
すかさず榊原が突っ込む。
「問題はこれまでの彼の宿題の取り組みです。わからない問題はすぐに模範解答を写す。時間をかけて覚えることもしない。それでも机に向かっていれば親には褒められ、塾でも評価される。彼はそれでいいと思い込むようになっていました」
まるでこれまで入会しなかったのは何も考えずにただ宿題をやっていたことを褒めていた講師のせいだと言わんばかりである。
本多や井伊はあきらかにムッとした。
「もちろんそれでいい気持ちになって入会する生徒もいます。常套手段とも言える。しかし彼を動かすには本質から変える必要がありました。模範解答を写すことを禁じて、覚える時間を必ず確保するように取り組みについては丁寧に話をしました。今回は講師に質問することも禁じています。自分の力でどこまでやれるか挑戦させたんです。質問は塾生になってからということで、まずは本気で勉強に向き合うことをしてみたんです」
「確かにあれだけ自習室を活用していて一度も質問に来ていない」
酒井は思い出すようにそう呟いた。
「彼は野球を通じて努力の仕方も、成果の出し方も知っている。そして負けたときの悔しさや、それが成長のバネになることもね」
「答案を返却したときの面談ではなんと言ったのですか?」
私はそう尋ねた。
「悔しさを共有しました。主に授業をしたのは私ですからね。
ただし、得点が取れるかどうかは運もあります。
一方で、自分自身が充実しているかどうかは
運ではなく彼の心がけ次第
だとも伝えました」

勉強の取り組み方がわかる。
テストの得点が上がる。
これらは学習塾に通うメリットだ。
だがシュンの心を動かす
情緒的ベネフィットは
「この講師の指導を受ければ、
勉強を通じて充実感を得られる」
という実体験だった。
後日、私は顧問税理士の天海さんから、伊達の言葉がローマ帝国の政治家であるルキウス・アンナエウス・セネカ氏の
『君が長生きするかどうかは
運命にかかっている。
だが、充実して活きるかどうかは
君の魂にかかっている』
からきていることを知る。

