起業して4年、様々な苦難を乗り越え、ようやく軌道に乗って正社員も雇用できるようになった私の学習塾に、以前勤めていた大手進学塾の山内が訪れた。
私の教室の雰囲気を実際に見ておきたいということで、これは山内に紹介した私の顧問税理士・天海さんからのアドバイスのようである。
天海さんは長いお付き合いのクライアントを多数対応しているのでかなり忙しいのだが、私の後輩ということで了解してくれたのだ。
天海さんもまた人との縁というものをとても大事にしているからだった。
「いやー、こんな立派な教室だとは思っていなかったですよ! 凄いですね!」
思ったことを素直に口にする性格である山内はそう言って驚いていた。
「1階だけじゃなくて、2階にも教室があるんですね」
「起業当初は1階だけ借りていたんだけど、塾生数も増えて手狭になったので2階も借りることにしたんだよ」
「これは賃貸料だけでもけっこうかかりますね。うちらじゃまだまだ先の話だな・・・・・・」
「うちら? どういうこと?」
「それがですね、あれからいろいろ考えてみたんですが、どうも資金が足りなくて、協同で起業しようかと考えているんですよ」
「ひとりではないんだ。それは初耳だな。いったい誰と一緒に起業するつもりなんだ」
「はじめさんの知らない人物なんですけどね」
「ということは私が退職して以降に入社した若手講師か?」
「いえいえまさか、お金のない若手講師と一緒に起業しようとは考えてませんよ。高校の同級生で、深い付き合いのある友人です」
「どこかで塾講師していたのか?」
「まったく畑違いで働いていた男です。ただ僕の話に興味をもってくれて、脱サラして一緒にやろうかと。資金もけっこう持っているんで、渡りに船ですよ」
「教育系のサービス業に従事した経験のない人と一緒にやるのか。それは天海さんに相談したんだろうな」
「いやー、まだしてないですね。なにせ昨日決まったことなんで」
「山内、それは天海さんに相談してから決めなきゃダメだろう。確かに友人と一緒に起業するのは心強いし、作業も分担できるから負担も軽減できるが、デメリットだってあるんだぞ」
「デメリットって何ですか? けっこう本音で言い合える仲なんですけど」
「経営の主導権で衝突したり、出資比率が異なるのに報酬が同じで揉めたりするって天海さんから聞いたぞ。
共同経営での後々のリスクを軽減するために、
企業理念だけでなく具体的な目標や方針、
報酬や権限まで幅広く明確に決めておく必要があるだろう」
「それは確かに出資額はかなり違いますが、塾経営としては僕の知識と経験頼みだし、授業など忙しく対応するのも自分になりますから利益の分配は公平でいいかなと思ってますよ」
「ビジネス上の人間関係って山内が考えているほど簡単なものじゃないぞ。特に山内は他人に厳しいところがあるだろう。そこが衝突の原因になりかねないからな。哲学者であるアリストテレス氏の言葉に
『自分が友達に望んでいる通りに、
友達には振る舞わなければならぬ』
とある。
これまでもよく周囲と方針や行動についてぶつかっていただろう。起業しても考えられる話だ。そうなったときにさらに揉め事が大きくならないよう、起業する時点であらゆる項目を明確にしておくべきだぞ」
「わかりましたよ。しかし、なんだかはじめさんと話をしていると、天海さんと話しているような気分になりますね」
山内はそうぼやいていたが、表情を見る限り腑に落ちたようではある。
それにしても私と天海さんが似ているとは、ずいぶんと嬉しい褒め言葉だ。
私も経営者としてここまでやってきて少しは成長できているのかもしれない。