2025年も9月に入り、暑さは幾分収まって秋めいてきた。
しかし、本多や井伊ら講師陣の怒りは治まることはない。
その矛先はいつまでも体調不良と称して欠勤を続ける石川。
助っ人の山内が2学期も少しの間だけ引き続きレッスンを担当してくれるので、最悪の状態は免れているが、人手不足は深刻だ。
何より石川がいないことで生徒や保護者に動揺が見られるのが大きな問題だった。
血の気の多い本多あたりは石川のことを「あの仮病人」と露骨に呼んでいる。
自分たち講師陣に迷惑をかけているだけでなく、お客様に悪影響を与えているのが許せないらしい。
確かにそれはそうなのだが、仮病とはっきり決めつけていいものなのだろうか?
同期入社の酒井だけは一時の興奮が冷め、なぜか溜飲が下がったような表情をしているのも気になった。
夏期講習会後に石川と話でもしたのか、しかし、それについて酒井から何も話はない。
そして、石川からの連絡が途絶えたということもなかった。
2学期になっても夏期講習会中と同じように毎日私のスマホに電話がある。
「体調がまだ治らず申し訳ありませんが本日お休みします」と、同じ台詞を毎回聞いているが、こちらの質問にはほとんど答えずに電話を切ってしまう。
経営者として、石川がこの学習塾で働き続けることはすでに諦めている。
おそらくどれだけ待っても石川が戻ってくることはない。
問題はもはや石川をどう対処すべきかに移っている。
「解雇」か「退職」か。
その相談は社労士と重ねていた。
解雇であれば、離職日の30日以上前に「解雇の予告通知」が必要になる。
今すぐにクビというわけにはいかない。
もう一方は、石川から辞職してもらう退職だ。
退職の方が紛争なく解決するので好ましいのだが、肝心の石川から辞職の意思表示がないので悩ましい。
この地域に進出してきた大手進学塾「清洲予備校」の有名講師と会っていたという目撃情報もあるので、あちらに移る可能性は高いし、正式に採用が決まるまでの時間稼ぎをしているようにも思える。
本多は確実にそうだと決めつけていた。
そう考えるのも仕方がない状況だと言える。
今日も顧問税理士の天海さんと昼食を一緒にとらせてもらった。
最近は健康に気をつかい、炭水化物・脂質の摂取量を決めて食事のメニューを選んでいる。
調子はすこぶる良い。
「解雇か、退職か、どちらにすべきか困っています。そもそも何が原因で石川が出勤しなくなったのか、その本当の理由もわからないままですからね。本多や井伊は絶対に解雇にすべきだと頑なに主張していますが」
「何かしらのパワハラや嫌がらせが原因だとすると
解雇は不当解雇として争われるリスクがあるの。
損害賠償請求という可能性すらある。
ここは慎重な対応が必要じゃな。
退職勧奨という方向が
円満に解決する最善の策ではないかの」
「会社からの一方的な意思表示にはしない方がいいということですね。私もまったく話を石川から聞けていないことがネックに感じていたので、話し合いの場は設けたいと考えています」
「威圧感を与えてしまうので、話し合い場には他の講師がいないようにすべきじゃな。はじめさん自身も言葉選びに慎重になって、これ以上揉めないように注意しなさい。相手の話す内容を否定するようなことはせず、傾聴を心がけること。日本資本主義の父である渋沢栄一氏の言葉に、
『反対者には反対者の論理がある。
それを聞かないうちに、
けしからん奴だと怒ってもはじまらない。
問題の本質的な解決には結びつかない』
とあるからの」
「コーチングと同じ原理ですね。わかりました。あとは石川が会ってくれるのかどうかだけです」