冬期講習会最終日、この日初めて入塾申込書を目にした。
提出してきたのはこれまで何度も講習会には参加してきた中学2年の男子。
野球部に所属しており、見た目通り元気で明るい。
みんなから「シュン」と呼ばれて愛されているキャラクターだ。
ただし勉強嫌いは手が付けられなく、主要5教科ただのひとつも学年平均点に及ばないどころか、ほぼ最下位という結果を続けている。
講習会に参加するたびにあの手この手で入塾を勧めたが、打てども響かず。
入塾から最も遠い一般生というカテゴリーに属していた。
もはや講師の誰もシュンの入塾など期待していない。
そのシュンが自分の手で入塾申込書を伊達に手渡したのだ。

私も含め、講師一同が驚いて声を失った。
本多にいたっては大きな目を見開いて頬をつねっている。
夢を見ているとでも思ったのだろう。
シュン入塾の衝撃は講師たちだけではなく、生徒にも伝わっている。
多くの塾生がシュンの入塾を驚きながらも歓迎していた。
酒井が講師デスクのPCに向かい、データを確認し始めた。
榊原も同じ考えだったようで酒井の隣でモニターをのぞいている。
彼女たちはこう考えていた。
シュンは、2日前に行われた冬期講習会締めくくりテストで大きく得点を伸ばし、それに気をよくして入塾を決めたのだと。
もともとシュンの得点は低い。
講習会前の診断テストでは5科目300点満点で、105点と塾生・一般生の中で最下位だった。
低い得点であれば大きく伸ばすことは可能だ。
5科目とも平均点近い得点を取れれば50点以上の伸びになる。
すでに200点を突破している生徒からすると、そこから50点伸ばすのは至難のわざ。
シュンだからこそできる話というわけだ。
しかし、2人はシュンの締めくくりテストの結果を見てさらに驚いた。
得点が5点しか伸びていない。
合計で5点だ。
科目によっては講習会前のテスト結果より下がっていた。

ということは、事前の三者面談において、締めくくりテストで伸びなかったら入塾するという約束を交していたのだろう。
酒井と榊原は小声でそう語り合っていた。
だが、実際のところ伊達はそんな約束をシュンとも保護者とも交してはいない。
約束したことは、「日々の勉強の取り組みを伊達に見せて伝える」ということだけであった。
その約束があったからなのか、今まで参加してきた講習会の中でシュンは最も勉強していたのだが、伊達からはシュンへの声がけを一切禁じていた。
声がけできる講師は唯一伊達のみ。
本多が、頑張って自習室で勉強しているシュンに何度も声をかけそうになっていたが、伊達の指示を思い出して手を止めていた。
シュンは過去一番本気になって取り組んでいたのに成果は出なかった。
もうすぐ中学3年生になるのだから試験範囲は広い。
2週間勉強を頑張ってもなかなか成果に繋がらないのは当たり前の話ではある。
伊達は昨日の答案返却時にシュンと面談を実施している。
その内容を私にだけは報告していた。
「本気になって取り組んだからこそ
初めて勉強で悔しいと感じたようです。
彼は野球を通じて、悔しいという気持ちが
成長の原動力になることを知っています。
そして悔しさをバネに努力した後の
達成感も知っているんです。
私も指導者として
悔しいという気持ちを伝えましたよ」
だがいろいろと疑問がある。
なぜシュンは本気で勉強に取り組もうと考え、それを実行できたのだろうか。
なぜ伊達は他の講師からの声がけを禁じたのだろうか。
この点については講師全員が知りたがっていると思ったので、講習会後の報告会で伊達自らに話してもらうことにしよう。
私は顧問税理の天海さんが以前口にしていた政宗公の
『人の心を動かすには、
まず自分の心を動かせ』
という言葉を思い出していた。

