【このお話では、サラリーマンを続けていた40歳の松平はじめが、起業に挑戦し、税理士からアドバイスを受けて、成果を出すための大切な気づきをいろいろと得ていきます】
2023年もあっという間に過ぎていき、もう折り返しの6月を迎えた。
夏期講習会の受付準備も進めていく時期だ。
それまでに新人学生アルバイト講師の本多、榊原の両名には個別指導のレッスンや生徒・保護者対応の基本は身につけてもらう必要がある。
この2名がシフトに入らなければ夏期講習会は人手不足でかなり苦しくなることが予想された。
人手不足になれば、塾長としての私の業務を割かなければいけなくなり、全体の動きが停滞してしまうリスクがある。
新人両名には2日に一度、研修を受けに来てもらっている。
幸いにも住んでいる場所が近いため、負担なく研修には参加できる状態だ。
研修を担当する酒井も個別指導のレッスンを含め、ほぼ毎日出勤している忙しさだが、意外にもまったく不満げではない。
むしろ新人の研修を担当するようになって、明るくなった印象だ。
以前はそこまで自分から話しかけてくるタイプではなかったのだが、今は時間があれば新人の状況を報告してくるので、石川よりも頻繁に会話するようになっていた。
「塾長、以前に研修を受けさせていただいた時に、
『塾講師は五者であれ』
というお話を聞いたのですが、メモが上手く取れておらず記憶が曖昧なので、もう一度教えていただけますか?」
「ああ、いいよ。常に自らを研鑽する学者、生徒を魅了する役者、将来をイメージさせる易者、生徒を楽しませる芸者、弱点にメスを入れてそれを改善する医者の五者の役割のことだな。信頼され、人気のある塾講師は総じてこの5つの要素をしっかり兼ね備えている」
「役者と芸者って同じように感じますが」
「役者は授業に集中させるための仕掛けを入れてドラマチックに展開していくのに対し、芸者はその単元を勉強する面白さや、その講師から学ぶ楽しさを生徒に感じさせることだな」
「なるほど。では、易者というのは、このままだと志望校に合格できないぞときっちり指摘していくことでいいのでしょうか?」
「まあ、そういった将来の見せ方もあるけど、こういう勉強の姿勢で、こういった習慣で勉強すると、さらに成績が伸びて志望校に合格できるぞ、といった方向の話が生徒にはポジティブに受け止めやすいだろう」
「塾長にあんなに熱心に研修をしていただいたのに、私はあまり五者について意識して仕事をしていませんでした。五者の役割の話は新人2名にも伝えますが、まずは私が実践してその効果を確かめていきたいと思います」
これはまさに顧問税理士の天海さんの目論見通りの展開だ。
あれだけ頭が固く、コーチングをしてもなかなか変化のなかった酒井が、新人に教えることで自ら学んで成長しようとしているのだ。
新人研修を担当することで、
率先して初心に帰る努力をしている。
こちらがいくらそれを指摘しても、酒井は逆に反発してこうは上手く運ばないだろう。
酒井の成長にとってこれは絶好のタイミングだったのかもしれない。
酒井の生徒対応も明らかに変わってきている。
強い口調で強引に生徒を誘導しようとはしていない。
自分の経験談などを話ながら、生徒に気づきを与えようとしている。
人は日々の生活の中でマンネリ化して初心の頃の緊張感や成長したいという純粋な気持ちを忘れがちだ。
仕事や業務にも同じことが当てはまる。
天海さんが、室町時代の猿楽師として有名な世阿弥の言葉である
『初心忘れるべからず』
をよく口にしていたが、私自身わかったつもりになって聞き流してしまっていたかもしれない。
酒井の成長に負けないよう、
私も初心に帰って改めて取り組み
今以上の成長を目指そう。